ペン習字

ペン習字

ペン習字を習いに行きました。

やろうと思った理由は

1私の字が下手でコンプレックスだったこと

2必要に迫られたことの2点です。

必要に迫られた…というのは、結婚し、家庭に入ったときに、夫の代わりに大量のお礼状を書くことがある、と気がついたからです。

夫は、サラリーマンで営業職についていますが、

1仕事の付き合いが多い。(そのうち、目上の人の割合は7割)

2親戚付き合いが深い。

3ロータリー(交流会)に入っている。

という3つの理由により、年賀状・お礼状・送り状・お歳暮・暑中見舞いをその都度書く必要が生じました。

年賀状のあて先はパソコン頼みとしても、一筆添えて書かないと…。

と考えていくと、実に、一年で軽く1000枚以上の手紙を出す計算になりました。

1000人が「あはは、下手な字~。」と噴き出すところを想像し、

1000人が「おおっ!綺麗な字だ!A君の奥さん(私)は素晴らしい!」と感動しているところを妄想し、

ドラゴンボールのサイヤ人の如く燃え上がった私は、ペン習字の申し込みをしました。

先生は、ペン習字歴23年の笑顔が素敵な女性。

「最初は、とにかく筆ペンに慣れることが大切ですよ。」と、XOL」等の記号を手本通りに書く練習をしました。

「簡単な記号じゃ~ん。」と思いきや、筆ペン初心者な私が書くと、線がいびつになり、なかなか、まっすぐになりません。

特に、難しいのはO。Oや◎を筆ペンで書こうとするとゆがんだ記号ができてしまうのです。

はらいを書くにも思うように筆ペンが動かなく、お手本と違う角度になってしまうこともしばしば。

指定の用紙をすべて書き終わった頃には汗だくでした。

「最初は何事も大変なものですよ。でも、ペン習字はこつこつ毎日やっているうちに、絶対上達するものですから。」

と優しい先生の笑顔に励まされました。

ペン習字を習い始めてよかったことがもうひとつ。

手紙の正しい書き方について学べるんです。

「拝啓」「謹啓」「前略」といった頭語・季節の時候の書き方から、住所と名前の書く位置とその大きさ等。

様々な人々に褒められる妄想をポワ~ンとし、にやけながら、今日から私はペン習字を頑張ります!!!

お見合いパーティーは名古屋エリア

能と茶道

お茶会に顔を出して、茶道具を見ていくうちに、能に関係のある茶道具が複数あることに気がつきました。

たとえば、「薪能」と呼ばれる、夏の夜に、能楽堂や野外に能舞台を設置して、その周囲にかがり火を焚いて、特別な演目を演じる能があります。

この薪能は、能ファンなら、一度は観たい演目のひとつに数えられるものです。

茶道の道具に、この薪能をイメージした棚がありました。

その棚は、高さ50cm程、縦と横は各20cm程の大きさの、水差しを置く棚です。

棚の縁取りとして、波と能舞台の模様が描かれていたのでした。

他には、「金春金襴(こんぱるきんらん)」という名物裂(めいぶつぎれ)と呼ばれる鎌倉時代から江戸時代にかけて渡来した特定の染織物で出来た布があります。

能楽師の金春太夫が、豊臣秀吉より拝領した能装束の裂と伝えられているものです。

詳しくは、紺・白・黄・浅黄などの縦縞の柄の地に、宝尽くし(打ち出の小づちなど宝物が描かれた柄)の模様などを、金糸でちらしている布です。

この布は、お茶の入れ物を包むための、仕覆(しふく)と呼ばれる布でできた入れ物に使用されます。

これらのように、茶道が能の影響を受けていることが見受けられます。

能は、鎌倉時代から室町時代にかけて完成した、日本の舞台芸術の一つです。

歌舞伎と並ぶ、伝統芸能ですが、歌舞伎に比べてずっと昔から続いており、戦国時代に利休が始める前から、能は既にその地位を確立していました。

茶道の「守破離」という概念と、能の「序波及」という概念は、一致します。

師が弟子に教えられることは、「守」だけであり、それを習いつくした弟子は、自らそれを破って我がものとし、上手となる。さらに、守と破を合わせて離れるのが名人である…と。

能も茶道も、師から「動き」を見て学び、その動きを、その次の代に伝えていくことを何代にも渡って繰り返してきました。

それぞれの文化は違えども、古くから日本に根差す伝統芸能として重なる点はあるようです。