茶道のH先生

茶道のH先生

さかのぼること50年、当時、一世を風靡した有名な俳優が、九州のH市に来た時のこと。

着物を着て日傘を差して歩いているH先生とすれ違って、はっと振り向いた…。

そんな逸話もあるほど、H先生の美しさは評判でした。

華奢な体型、透き通るような白い肌、きりっとした目鼻立ちのH先生は、私が小さかった頃に通っていた茶道教室の先生でした。

当時の、H先生の家は、毎日のようにお見合いの話を持ってくる人でにぎわっていたのに、地主も医者も政治家も、皆断って、H先生は小学校の同級生だった、炭鉱マンの人と結婚したそうです。

そして、結婚して一年後に、ご主人は炭鉱の落盤で帰らぬ人となったとか。

スター俳優が振りむく程の美貌のH先生の元には、子連れでもいいから、と又あちこちから求婚の声が挙がったそうですが、H先生はすべて断りました。

そして、事故の慰謝料全額をはたいて茶道具を買い集め、茶道の先生になったそうです。

「H先生?よく知っているわ。とっても熱心な方よね。」と都内で茶道を教えているM先生が手をはた、とたたきました。

「京都の茶道の勉強会に、夜行バスを乗り継いで、九州からいらっしゃっていたのよ。食い入るように行亭先生(茶道の先生に上のお手前を教える男性達)のお点前を見ていたわ。」

子どもの頃、H先生の教室に通い、どこに習いに行っても困らないようにと、それは教えていただいたと話をすると、M先生は目を細めました。

「そうそう、高熱を出した時も、着物を着て、勉強会に平然とした顔ででていらっしゃったわ。せっかく京都にわざわざ来たのに、無駄にしたくないって。

それで、勉強会が終わって、ホテルに帰った途端、倒れちゃったのよ。

でも、誰も高熱が出ていたなんて気がつかなかったくらい、勉強会の時は凛としていらっしゃったのよ。」

H先生がお亡くなりになったのはもう10年も前のことです。

でも、H先生が教えてくれたお点前は~だった、H先生は~するようによく注意してくれた…と、先生に習った人は皆H先生を思い出しながらお稽古をしています。

お亡くなりになっても、ずっと忘れられないで、人の心に茶道を介してH先生は残っているのだな、としみじみと感じ入りました。

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和食の料理教室に、M子ちゃんと行きました。

M子ちゃんは20代のきゃぴきゃぴした女の子。来年に、19代前までの家系図がきっちり保管されているという鎌倉の旧家のご子息との結婚を控えています。

和室の床の間には、蛍の絵柄のついた団扇の形をした香合がかざられていました。

6月の茶道の季語に、「蛍狩り」という言葉があります。

茶道もたしなむ先生は、季節に合わせてこの香合を出して下さったのでしょう。

6月の食材として代表的な物に、生姜があります。

和食の料理の先生が笑いながら話していました。

「今月の食材テーマを何にするか、悩んで、夢にまで見てしまったのよ。そうするとぱっと生姜が輝いて夢の中に、出てきたの。」

夢のお告げ?に従い、教室で生姜を使った料理を教えて下さいました。

・夏野菜の揚げびたし生姜添え

・焼魚

・揚げ豚

・甘酢漬け

生姜は主に、大生姜(国内生産の90%近くを占める)・中生姜・小生姜の三種類がありますが、今回は、大生姜の他に、金時生姜という鮮明な赤色をした生姜も使用しました。

金時生姜は、焼魚の添え物として和食料亭で目にすることの多い、細長い赤と白の生姜です。

夏野菜の揚げびたしには、千切りにしてから水にさらした生姜をのせて。

焼魚には金時生姜を。

揚げ豚にはみじん切りにした生姜と玉ねぎを中華風の味付けにしたものにからめて。

甘酢漬けはスライサーで薄切りにした生姜を甘酢につけて、その甘酢をお豆腐にかけます。

書きだすと、生姜尽くしと感じますが、実際に食べてみると、くどくないんです。

何故なら、生姜はあくまで引き立て役。

野菜や魚・お肉がメインで、ひと皿ごとの味付けも全く異なるので、気になりませんでした。

美味しさに私もM子ちゃんも幸せいっぱい。

目下、花嫁修業中のM子ちゃんに、先生が言いました。

「これらの料理は、一見わからないけれど、生姜がないと成り立たないのよ。

貴方は、今後家庭に入るよね。

これらの料理にあてはめるのなら、貴方が生姜で、ご主人や今後生まれてくるお子さんがお肉や野菜。

生姜のように、色んな形で、ご主人やお子さんをサポートしてあげるのがいいわよ。」

まだまだ、浮つきが抜けないM子ちゃんも、はっとした表情で「…はい!」と答えていました。